嫌いな動揺「あめふり」

598 名前: 大人になった名無しさん [sage] 投稿日: 2006/11/20(月) 17:42:23
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう童謡の1つに、「あめふり」ってのがある。
僕は子供時代、その歌が嫌いで嫌いでたまらなかった。

小学校にあがる少し前、母は僕の入学式に出席することができないままこの世を去った。
車での買い物の帰り道、大型ダンプと正面衝突をして、ダンプの運転手ともども即死だった。
覚えているのは人の大きさをした大きな布の膨らみと、
それにすがりつきながら「痛かったろう、痛かったろう」と大声で泣き喚く父の後ろ姿だけ。

あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

ちょうど事故で母が死んだ日も、路面が滑りやすい雨の日だった。
この歌が雨の日の給食時間に放送で流れると
保育園に迎えに来てくれた優しい母の顔を思い出し、僕は耳をふさいだ。

その日もそんな雨の日で、ごたぶんに漏れず給食時間の放送からはあの歌が流れていたと思う。
朝の天気予報では晴れマークが出ていたので、傘を持ってくるのを忘れた僕は、
下校のときのことを想像するたび憂鬱な気分になっていた。

母の件のせいにするつもりは毛頭ないけれど、その頃の僕はおせじにも可愛い子供ではなかった。
当然友達なんかいないから傘に入れてくる人なんかいるはずないし、
父は仕事で今日も遅いから、まさか僕の傘のために仕事を抜け出して迎えに来てくれるはずもない。
むしろ当時の僕は本当に可愛くなくって、
「もし父がそんな風に迎えに来てくれたとしたら、一体どんな顔をしたらいいんだろう」
なんていう風に、子供らしくないネガティブな悩みかたをしていたのを覚えている。

でもそんな悩みなんかもとから不必要で、結局父が迎えに来てくれることはなかった。
当然だ。片親で子供一人を学校に通わせるのは今思えば楽なことではない。
大工であった父はその日も屋根の上で雨に濡れながら家族のために必死に働いていたんだろう。
どんどん強まっていく雨足と、ぽつりぽつりとクラスメイトが減っていった薄暗い教室は、
今思い出しても寂しい気分になる。
一度寂しいと思うと、その寂しさはどんどん膨らんでいくもので、
そんな時に母の顔を思い出してしまった僕はもうどうしようもなかった。

もしお母さんがいてくれて、傘をさして迎えにきてくれたら、この雨もどんなに楽しいだろう。
そう考えたとたん、涙がぽろぽろこぼれてきて、
僕はまだクラスメイトもちらほら残っている放課後の教室で泣き出してしまった。
それに気づいたクラスメイト達も何事だとこっちをうかがいはするが、もちろんなぐさめてはくれない。
やりきれなさと寂しさで胸がいっぱいになっていたところへ、担任の先生が声をかけてくれた。

当時僕の担任の先生というのは結構なお年の女性の方で、杉本先生といった。
ぽっちゃりした体型と人懐っこい笑顔に派手めな眼鏡で、
生徒からはおばあちゃん先生なんて呼ばれていたけど、
本人はむしろその呼び方に愛着を感じているらしく、微笑みながら応対していたように思う。

どしゃ降りの雨がふる教室のなかで、小学校2年生の子供が泣きじゃくりながら事情を説明する言葉なんて、
一体どれだけ聞き取れただろうか。
先生は膝をおって同じ高さまで顔をもってくると、
僕の背中を優しくさすりながら「そうね、そうね」と独特の九州なまりであいづちを打ってくれていた。

僕がやっと泣き止むと、杉本先生は僕に「そんなら先生と一緒に帰ろうか」というと、
やっぱり派手めな赤いチェックのはいった小さな傘を差し出した。
途中杉本先生の家にあがらせてもらい、色んな話をした。
「今度から雨の日は先生と一緒に帰ろう」と言ってくれたのが、僕は嬉しくてたまらなかった。
なんだかんだで恥ずかしさも伴い、一緒に下校したのはそれっきりだったけど、
僕はそれからは雨がそれほど嫌ではなくなっていた。

杉本先生、お元気にしてらっしゃいますか?
僕は今年、夢だった教師になることが出来ました。
先生のことを思い出したのも何かあるのかも知れない、なんていう言い訳を抱えて
実家に帰省した折にはご挨拶に伺わせて頂きたいと思っています。