二人目を妊娠したとある夫婦の日記。「お腹の子は、無脳児でした。」

無脳症とは?
無脳症とは神経学的奇形症の一つで、大脳半球は通常欠損して全くないか、または小塊に縮小している。

日本では10000人に対し10人の確率。
原因については詳しく解明されていない。
治療法は発見されていない。
75%が死産となり、残りの25%も一週間以内にほとんどが死亡します。

「お腹の子は、無脳児でした。」~葛藤と感動に包まれた5日間の記録~

「大事な話があるから、
電話に出られるようにしておいてね。」と、

妻のはなちゃんからLINEが入った。

昼休み。丁度、店内でチキンクリスプの包み紙を開けるところだった。
「そうかあ、本当にだめだったのか。」と心の中で深くため息をついた。

確かに、はなちゃんは病院に行く前から気にしていた。
「もうちょっとお腹大きくなってもいいころなのに。
ちゃんと育っているか心配。」
1か月くらい前から、何度かそう話していた。

でも、不安になるのは
心配性のはなちゃんにはよくあること。

正直あまり気にしてなかった。
正確には、気にしないようにしていた。

妻の7月7日

脳がないから、産まれても生きられない。

妊娠14週。いつも通り10:30に産婦人科へ。
血圧正常、体重900g増加。
よし。まだプラス1kgもいっていない。
「次からUSB持って来たら
赤ちゃんの映像とってあげられるからね。」
よし。次回は絶対持っていかなきゃ。

エコー始まる。

お。ピコピコ心臓動いてる!
一安心。

無言。
無言。
無言。

あれ?
一人目のそうたろうの時には、
「これが足で、これが手だよ。」
「これが顔ね。」
「今は○○㎝だね。」と会話が普通にあったのに。

「あ、これ心臓ですよね?」

無視。

え?無視?
しかも首をかしげながら映像を見ている。

何か異常があったのかな。
だからこんなに無言なのかな。

そうしたら、
「ど、どう?最近はつわりはおさまってきたかなー?」
ギコチナイ棒読みで。
「全然まだなんですよ!先週末も吐いて、けっこう辛かったです。」

「そ、そうなんだー?風邪とかひいてない?」
「風邪?たぶんひいてないです。」

無言。
無言。

「家族はどう?風邪ひいてる人いない?」
「はい。誰もひいてないですよ。」

無言。
無言。

「上の子は、えーっとー、5歳になったのかな?」
「はい。」

「どう?上の子は風邪ひいてない?」
「?はい。別にひいてないです。」

無言。
どうしてこんなに、
周りに風邪をひいてる人がいないか聞くんだろう?
そこ重要なのかな?
かなり不安。

長すぎる。
エコーが長すぎる。

「はい。じゃーー……えーっと……。ね。
あとでね、先生の方からお話がありますので、
待合室の方でお待ちください。」

この意味深な言い方に、
「何かあったんですか?」
と、すごく聞きたかったけど、
聞いたら後悔する気がして、怖くて聞けなかった。

結局、いつもなら渡される
エコー写真をもらえないまま待合室へ。
待つこと1時間以上。

後から来た人たちがどんどん帰っていく。
もしかして、
わざと最後になるように回されてるのかな?と気がついた。

「半田さーん。」

やっと呼ばれて診察室へ行こうとしたら、
看護師さんが「今日は一人で来たのかな?」と聞いてきた。

絶対おかしい。この質問絶対におかしい。
心臓がバクバクしながら、診察室のドアを開けた。

室内は、たくさんのエコー写真が並んでいて、
先生と5人の看護師さんが小声で、
何か深刻そうに話し合っている。

何?この光景。
頭の中は真っ白。
心臓バクバクどころじゃない。

イスに座っても、誰も何も話してくれない。

やっと話してくれたと思ったら、
「今日は一人で来てる?誰か一緒に来てない?」
とまた確認される。
そうとう内容が深刻なのはよくわかった。

やっと先生がしゃべったと思ったら、
「ちょっと中から見たいから、
内診台の方あがってもらおうかな。」

「何かあるんですか?」
すごく震えた声で、やっと聞けた。

「うーん。ちょっとね。うん。
胎盤の位置を確認させてね。」

なんとなく怖くてエコー画面が見れない。
それよりも、
先生たちのヒソヒソ声が気になって仕方がなかった。

うーん。やっぱりどうのこうの。
ここがあーのこーの。
だからあーのこーの。
全然聞き取れないけど、かなり深刻気味。

内診が終わっても、
足がガクガク震えてパンツがうまくはけない。

また先生の前に座る。

「これね、今日のエコーなんだけど。」

心臓が痛い。
今から何か言われると思うだけで、
過呼吸になりそう。

「ここわかる?下が黒くなってるでしょ?
頭の下と、ここ背中なんだけど、
背中の下も黒くなってるでしょ。」

「はい。」

「これね、赤ちゃんむくんでるんだよね。」
全く知識がないせいで、会話の先が読み取れない。

「でね、ここ、頭の後頭部なんだけど。
体の大きさに比べて、
頭の大きさがちょっと小さいんだよね。
ていうのは、後頭部が成長してないのよ。」

「はい?」

「前回のエコーではね、
そんなふうには見えなかったんだけどね。
んーーー。まー、要は脳がないんだよね。」

「え?!」

「無脳児って言うんだけどね。
こういう事、稀にあるんだよね。
お母さんのお腹の中では生きられるんだけど、
脳がないから、産まれても生きられない。
今の段階での治療法っていうのは、何もないんだよね。」

お腹の中では生きられる。
でも、脳がないから、産まれても生きられない。

全然わからない。
全然整理できない。

「え。どうしたらいいんですか?」

「今妊娠14週だよね。
そうすると、妊娠12週以降の場合は、
普通のお産と同じ形で、
赤ちゃんを出すしかないんだよね。
中絶という事になっちゃうんだけど。」

「中絶?!」

「うーーーん。無脳児ってね、
脳がないだけで、体はほんと普通に育つんだよね。
目もちゃんとあるしね。
心臓もちゃんと動いてるから、
どうしても中絶という言い方になってしまうんだよね。
母体のリスクを考えて、
母体保護法で中期の中絶をしてもらうことになってしまうんだよね。」

先生はすごく申し訳なさそうに言った。

のちのち、ネットで調べた記事には、
” 一般的に、医者から
中絶を勧めることはほとんどない。
ただ、無脳症の場合だけ、
唯一医者が中絶を勧める病気である。
それ程、無脳症というのは、
絶望的な病気である。 ” と書いてあった。

頭の中で整理を全く出来ていないし、
現実に心が追い付いてないし、
そもそも全く現状を理解できていない。

「じゃあ、奥で入院する日を決めてね。」
と別の部屋に。

一人でボーッと考える。

でも、何を考えたらいいのかわからなさすぎて、
結局何も考えずに座っていた。

受付に戻ると誰もいない。

ボーッと待って、お金払って、車に戻って、
すぐ夫のはんちゃんに電話をした。

声を聞いた瞬間に、号泣。
話さなきゃと思っても、
とりあえず、溜まってた涙が全部流れた。

夫の7月7日

理由なんて、ない。

「大事な話があるから、
電話に出られるようにしておいてね。」と、
妻のはなちゃんからLINEが入った。

昼休み。丁度、店内でチキンクリスプの包み紙を開けるところだった。

数分すると、電話が掛かってきた。
もちろん、はなちゃんは号泣していた。
一通り話を聞いた。

余計なことは言わず、言えず、
「うん、うん」と相槌だけ打っていた。

あとは「わかったよ。早く帰るね。」
と低い声で言っただけだと思う。

さすがに食欲は無くなった。
帰社後、会社に事情を説明して、
早退させてもらった。

自宅まで車で45分ほど。
とにかく色んな事を考えた。

なんでこうなったんだろうとか、
もしあれがこうだったらとか、
とりとめのないことばかりを考えていた。

そして、人から聞いた話を思い出した。

” お寺の禅の話。
最初に叩かれた時は、体が動いたのかと考える。
しかし、その後も叩かれ続けていると、
「過去の自分の行いが悪いのかも知れない」と
思い始めてしまうそうだ。

つまり、人間は理由の分からない、
納得のいかない出来事に直面すると、
心のバランスを守るため、
無理やりにでも理由を作ってしまう生き物なんだ。”

まさしく今の自分もその状況だと思った。

きっと、理由なんてない。
誰も悪くない。
ただ、現実に起こってしまったこと。

ただそれだけだけのことなんだ。と受け止めた。

俺は今から、はなちゃんを支えなければいけない。

落ち込んでなんていられない。

帰宅すると、すぐにそうたろうを
保育園にお迎えに行く時間だった。

はなちゃんは私一人で
「お迎えに行ってくれ」と頼んできた。
「なんだかそうたろうに会わせる顔がない」と。
でもそれは断った。
そうたろうが心配する。そこは逃げちゃ駄目だと。

素直に納得してくれて、
一緒にお迎えに行った。

初めて二人で行ったお迎えに、
そうたろうは満面の笑みだった。

やっぱり、子どもの無垢な笑顔には癒される。
私たちには、そうたろうがいる。

それだけで、恵まれていることだと思った。
もし、彼がいなくて二人きりだったら、
沈むところまで沈んでしまうのだろう。

夜、少しだけ無脳症について調べてみた。
ネットでは数万人に一人はおろか、
千人に一人の確率とも書かれている。
そんな多いはずがないと心から思う。

こんな思いが「珍しいことでもなんでもない」では、
安く片付けられているようで、納得ができなかった。

はなちゃんはとりつかれたように、
携帯で無脳症について調べ続けている。

少しでも、ほんの少しでも、
この苦しい思いや不安を解消させてほしいと
「薬」を探しているようだった。

夫の7月8日

そうたろう、空に叫ぶ。

もともと僕たち夫婦は
いわゆる「授かり婚」だ。
ただ、妊娠発覚前から
結婚式場に見積もりを取っていたので、
「不意」な妊娠ではあったが、
「不本意」な授かり婚ではなかった。

08年1月に交際を開始。10か月後、結婚。
翌年5月に長男のそうたろうが誕生した。
今回のことは初産から5年と2か月後のことだった。

今日は産婦人科で
「ご家族に病状の説明」を受ける日。
指定された正午に病院へ。
もちろん、はなちゃんは暗い。

自分は昨日帰宅するまでに
受け入れる整理ができていたので、
薄情なほど、落ち着いて見えるのかもしれない。

産婦人科では、待てど暮せど呼ばれる気配がない。
さすがにいらいらしてくる。
「サービス業なら潰れているな」と思った。

結局2時間。ようやく説明が始まる。

人柄は良いが不器用そうな院長が、
気を使いながら、まわりくどく説明してくれる。

正直頭に入ってこない。

次第に説明に収集がつかなくなり、
「んーーー。
まー要は脳がないのよ。」と収束。

着陸前の飛行機が上空で旋回を続け、
あげく最後は直滑降で着陸。
そんな感じだった。

次に助産師の加藤さんが登場。
院長を押しのけ「ゴッドハンド」
と呼ばれるカリスマ助産師。

頼りがいが溢れ出ているほど、言葉が強い。
「今回の事はもうほんとに仕方がない!」
目を見て、キッパリ言い切ってくれた。

たくさんの嬉し涙や悔し涙、
罪悪感の涙に触れた人だからこその
「厚み」だと感じた。

きっと、この言葉の強さも加藤さんの
「施術」なんだと思う。

妻の7月8日

「忘れものを取りに、お空に戻って行っちゃった。」

さらに加藤さんは、こう言ってくれた。

「私はね、お母さんは
映像として残さなくていいと思ってる。

でもそのかわり、
お父さんには必ず赤ちゃんに会ってもらう。
それでいいと思う。

お母さんは、前に進まなければいけないの!
映像として残してしまうと、
いつまでも引きずって、
次の妊娠に進めないから。」

まだ恐怖心が強くて不安で、
赤ちゃんに会う勇気のない自分を
肯定してもらえて、涙が出た。

今回のことを、そうたろうに
何て伝えたらいいのかも相談をした。

「5歳の子なんて、
ファンタジーの世界で生きてるんだから、
そのままファンタジーで返してあげればいいんだよ!
赤ちゃんお空に帰っちゃったよ。って。
それでいいんだよ。」

そんな単純な事も思いつかなかった。

危うく、「赤ちゃん死んじゃったよ。」
と伝えてしまうところだった。

入院は、
はんちゃんが私の精神的な負担を考えてくれて、
今週お願いすることに決まった。

帰ってそうたろうのお迎えに行った。

保育園の帰り道、そうたろうは
「今日病院行ったんでしょー?
赤ちゃん元気だったー?」
と嬉しそうに聞いてきた。

それだけで泣きそうになる。
ごめんね、そうたろう。という思いでいっぱい。
「おうち帰ったら説明してあげるね。」
と言って、涙をグッとこらえた。

家に帰って、
そうたろうを正面に座らせて、
「赤ちゃんね」と話始めると、
やっぱり涙が溢れてきた。

「どうしたの?」

「赤ちゃんね、なんか忘れものしたんだって。
だから、忘れものを取りに
お空に戻って行っちゃった。」

「何忘れたの?」

「ね。なんだろうね。
それは先生もわからないんだって。」

「じゃーもう、はなのお腹に赤ちゃんいないの?」

「うん。」

ガラガラガラ。

突然窓を開けて、
ベランダに出るそうたろう。

「赤ちゃん、もうこのお空にいる?」

「うん。いるよ。」

すると、消極的な性格のそうたろうが、
空に向かって目一杯、大きな声で叫んだ。

「赤ちゃーーーーーん ! !

すぐ戻ってきてよーーーー ! !」

その純粋さに、
私はもう、たまらず号泣した。

気づいたら、部屋に戻ってきたそうたろうを、
「ありがとうね。」と抱きしめていた。

そうたろうは、
「はな、なんで泣いてるの?」
と不思議そうに聞いてきた。

赤ちゃんを楽しみにしていた
そうたろうを思うと、
ごめんね。
という思いでいっぱいだった。

そして、家族の想いを伝えてくれてありがとう。
もう、そうたろうもちゃんと、お兄ちゃんだったんだね。
それが、本当に嬉しかった。

加藤さんのアドバイスをもらっていてよかった。
自分もそのファンタジーに少し救われた部分があった。

本当に、本当に忘れものを取りに行っただけで、
またいつか戻ってきてくれるかなと、
素直に思えた。

夜、はんちゃんとたくさん話した。
今思うと恥ずかしいくらい、
ネガティブな考えしかなくて。
それを全部吐き出した。

はんちゃんはいつも、
「俺はそうは思わない。」
「そんな事ないと思うよ。」
と、私の考えを変えてくれる。
それがすごく救われる。

加藤さんは会わないことを肯定してくれたけど、
ほんとに会わなくていいのかな?
という思いは消えず。

ネットですごく検索した。

中期中絶して、赤ちゃんに会わなかったけど、
それでよかったという話を読みたくて。

でも、全然ない。

会ってよかった。
会ったらかわいかった。
そんな話ならいくらでも出てくるのに。

会った時に、少しでも
「怖い」「気持ち悪い」
と思ってしまったら、
親として立ち直れない気がして、
怖い。

まだ生きている子を、
薬で無理やり外に出すのは、
すごく残酷なことじゃないのか?
苦しいのかな?とか考えて、
闇の中へ落ちていく気分になる。

先月の検診の時には、
足を犬かきみたいに
元気に動かしてる姿をエコーで見て、
かわいくてかわいくて笑った。

どんな思いで私は出産に挑めばいいのか?
何度も考えても答えが全然なくて。

全ての想いをはんちゃんに話した。

「事実を受け入れて、前に進むしかない。
ごめんね、ごめんねじゃ本人も浮かばれないし、
赤ちゃんも、ごめんなさいって思っちゃうよ。
本人が聞きたいのは、ごめんねより、
ありがとうじゃないの?
俺は会ったらありがとうって言いたいし、
よく頑張ったな、またな。
って言ってあげたい。」

と言われて、心に何かグサッと刺さって泣いた。
何をグズグズ考えてたんだろうと情けなくなった。

家族になろうと来てくれて、ありがとう。
頑張って生きてくれてありがとう。
それだけでいいんだ。
と少し気持ちが軽くなった。

夫の7月9日

妻を支える夫から「一人の男」に

3日目。今日は会社に出社。
今週は最初で最後の通常出勤になる。

しかし、会社に向かう車に乗り込んだとたん、
ガクッとシフトチェンジをしたような錯覚が起きた。

まさにシフトが替わったのだろう。
久しぶりに一人になって、
妻を支える夫から
「一人の男」に戻ったのだと思う。

無気力、倦怠感。重い。
何度か「つらい」と呟いた。

気がつけばまた、
「なにがいけなかったんだろう」
「どうしてこうなったんだろう」
と考えてしまっている。

「失ったものを嘆くより、
今あるものに感謝する。」
(生きられないことより、
今生きていることに感謝する)
って決めたのに。

昨日はなちゃんに、
偉そうにもの言ってた自分が嘘みたいに思える。

妻の7月9日

「やっぱり、会いたい」

この日の夜は、
中期中絶がどれ程痛いものなのか。
ネットでいっぱい検索した。

情報は全て読みつくした!
と言えるくらい、読んだ。

やっぱり痛いしツライし苦しいらしい。
読んでホッとできる情報なんて、
何一つなかった。

入院前日になって、
やっぱり赤ちゃんに会うべきじゃないのか?
という思いが強く出始めた。

でも恐怖心もまだまだあるから、
まずはわが子に会う練習として、
「無脳症」で画像検索をしてみることにした。

よし。見れた。
しっかり見れた。

誰の子かわからない子が見れて、
自分の子が見れないわけがない!

でもいざ会った時に
「かわいい」
と思ってあげられなかったらどうしよう、
と不安になる。

決心する。

不安になる。

の繰り返しだった。

会った時の自分の思いや感情に自信がなくて。

でも、親に顔すら見てもらえない赤ちゃんを思うと、
ひどい親だよなと落ち込んで。

はんちゃんに相談。

「俺は迷わず会うし、
会うのが楽しみなくらい。
俺がはなちゃんなら、会う。

でも、加藤さんが言うように、
会わないのも間違っていないとは思う。

色々な経験を踏まえた上で、
前に進むために映像として
残さなくていいと言う意見。

それも正解なんだと思う。
ただ、どちらを選んでも、
とにかく後悔をしないように。

後で会いたくなっても、
もう二度と会ってあげられない。」

正直不安はあるけど、
でも私だって自分の子に会いたい。

よし。
決めた。

会う。

加藤さんに明日伝えてみて、
それでも会わない方がいいと言うなら、
その意見を聞いて自分が納得したら会わないし、
それでも会いたい!と思ったら素直に会う。

なんかスッキリ。
後は自分が痛みを受け入れられるかの覚悟だ。

夫の7月11日

「妖精に会った」5:30

カーテンを閉め忘れたおかげで、
5時半に目が覚めてしまった。

台風が直撃した入院初日から一夜明け、
こんな日に限って素晴らしく良い天気だ。

ついに、はなちゃんが出産する。
ついに、赤ちゃんと会うことができる。
ついに、赤ちゃんとお別れする。