家族を大事にしてください

名前:名無しさん 投稿日:2015年02月21日 01:34:49

暇潰しにオフラインでも読めるアプリを携帯に入れてて、笑える話だの、怖い話だの。泣ける話ってのを読んでたら、偶然にも自分がかつて投稿した話が入っていたので、自己満足で此処に事後報告を。

あれから四年程経ちましたが、あの時コメントを下さった方々に感謝と、願わくばいつかこれを見てくださることを祈って。

ROM専が仕事の合間に携帯でぽちぽち書き溜めしての投稿なので、誤字脱字長文、読み難いと思いますが御容赦ください。

自分は2011年位にあった 涙が出るほどいい話 5粒目ってスレの140です。

いや、今読み返すと恥ずかしいな俺。

ざっと言えば家庭崩壊?→家出→養育家庭の過程を経た、といった内容です。

母親始め家族や周りの方々について当時高校生なりに色々考えさせられた。

ちょっと普通じゃない身の振り方をしたけど、あれから落ち着いて普通の高校生らしくお世話になり、今現在公務員の立場を預かり国に従事しています。

私の身が落ち着いてから、実の親父と連絡を取るようになった。

親父は家から新幹線で二、三時間の所に越していて、弟は親父と一緒に住んでそこから学校に通っていた。

年の差婚って奴で結構な歳の親父と学生の弟とそれはビンボーな生活で、時々幾らか貸してくれ、と頼まれた。

そんなこと頼まなくても此方は仕事してるんだし仕送りするからっていうかむしろさせてくれと言っても必ず返すからと言って頑なだったので、あげるつもりで貸したらきっちり振り込まれていた。

高校に入学して制服代が…って聞いた時は流石にこれはプレゼントだからといって返済拒否した。

仕送りの代わりにはならないけど仕事の出張先とかでお土産を選んで送ってたんだけど、どれが良いか悩むのはちょっと楽しかった。

親父と弟と連絡取ったり会ったりする傍ら母親にも手紙を送ったりした。

なんだかんだと自分の母親だし、親父と連絡を取ってるらしいのだが、度々私の身を案じて時々泣いたようだ。

家を飛び出したのは真冬の最中で寒かったろう、と父経由でジャケットをくれた。

もうすぐ暖かくなる上にちょっとサイズ小さいよ母ちゃん。とまあこんな経緯があり、手紙を出したり贈り物をしたんだけど、返事は一切無かった。

贈り物は最終的に辛くなるから止めてほしいって親父経由で言われて止めたけどそれでも手紙は送る嫌がらせを続けていた。

上手く説明できないけど読んでくれてるって変な自信があった。

ある時、長く出張に出て帰ってきたその日の夕方、職場から電話がかかってきた。

叔母からの連絡だった。

因みに会ったこともないどころか存在すら知らなかった。

二、三日前、私の出張中に親父が事故に遭ったらしい。

早めに来て欲しいと言われたものの、遠い所というのもあって二日後位に見舞いに行く予定となった。

翌日とある予定を済ませる為に出掛けた。駅前に着いた途端、叔母からの電話。

「お父さんが危ない。今すぐ来て欲しい」

予定先へキャンセルと詫びの電話を入れ、職場には事情を伝えて急遽向かった。

初めて叔母に会い、電車を乗り継ぎ病院へ。

許してほしい。

言い訳だけど長い出張で連日働き続けてやっと帰ってきたのだ。

親父のいる地域へと向かう電車の心地良い揺れを感じうとうととしていた午前。

そしてお昼前に病院に着いた。

結論から言えば、私がその電車でうとうと揺られている間に父は亡くなった。

着いた頃には病院から運び出される前だった。

馬鹿みたいに縋り付いて泣いた。

握った手が冷たかった。

冷たいけど寝てるだけにしか思えなかった。

それからは死亡手続きだの葬儀だのと大変だった。

未成年だったから尚更で、叔母が居なかったら何も出来なかった。

二十歳を前に喪主になるとか訳分かんねえよってまだ実は親父生きてんじゃないのかって電話掛けてみたら何でもないかのように声聞けるんじゃないかって、混乱の極み。

ふと思った。

母親。

連絡しなきゃと思った。

今電話しないと後悔すると思った。

叔母が言ってた。

お父さんはいつか家族皆で笑いあえる日が来るのを楽しみにしてたの。

お母さんに連絡取ってあげて。

叔母から番号を聞き出して、恐る恐る電話を掛けた。

数コールの後聞こえたのは、ちょっと萎れ気味の、でもよく聞きなれた親の数年振りの声だった。

母ちゃん泣き過ぎて途中から何言ってるのか分かんないけど聞き返すのもあれだから脳内穴埋め問題みたいになってた。

あと手紙は読んでくれてたみたいで、色々思うことはあったけどどうすれば良いか分からなかったらしい。

父の死をきっかけに母と再会するとか皮肉なことになってしまった。

家族全員揃うことは生涯叶えられなかった。

もっと早く何か行動していれば。

今更だけどいつも思う。

あれから、弟はとある施設にお世話になることになり、叶わないかと思われた高校生活を転校して最初からだけど送ることが決まった。

今まで通っていた学校の先生方に挨拶に行ったら、親父と弟は私が出張先から送ったお土産を学校に持って行って分けてあげていたらしく御礼を言われた。

色々やって貰って礼を言うべきは此方の方だ。

新しい施設での慣れない環境だから可哀想だけども奴には最終的に自立して貰わなくてはならない。

軽い自閉症を抱えている弟は、人の死を理解出来ない。

取り敢えずお父さんは来れないんだって認識している様子。

あまり考えたくないが、母が死に、私もいつどうなるか分からない。

もう少し落ち着いたらネズミーランド行こうな。

親父のお気に入りだったインディジョーンズ乗ろうな。

母は色々事情があって同僚の助けを借りつつ無事に過ごしている。

なんだか、なんというかちょっと前より小さく見える。

この母、父同様仕送りを受け付けてくれないどころか食事に連れてって奢るはずが奢って貰うというオチに毎回持ってく手強い親である。

出番皆無。頼むからちょっとは親孝行させて。

勿論お土産は欠かさない。

毎回ありがとうとかそんなに気を遣わなくてもって言うけど、割に合わないけどずっと可愛がってくれたお礼やら罪滅ぼしやらを込めてたりしてちょっと罪悪感もある。

もう一つの家族は相変わらず。

最近やっと自然にお母さんお父さんと呼べるようになった。

この前家族が更に増えてわいのわいの。

予定や時間が合わなくてあまり会えなくなったけどもそれでも友人達も変わらず接してくれる。

学校の先生始め関わってきた色んな人のお陰でこうして生きている。

言いたいこと、伝えたいこと、いっぱいあるんだけどもいざとなると上手くまとまらないな。

かつての私のレスを読んでくださった人は、この顛末を読んでもしかしたら腑に落ちないかもしれない。

悪く言えば毒親に依存する子供みたいな感じに読めるかもしれない。

世の中本当に腐れ切った形だけの親が存在しているのは否定できないけれども、それは別として。

幸いにも我々一家は根本は普通の幸せな家族でした。

理由なく親を信じれた。

その結果です。

家族を大事にしてください。

こまめに連絡を取ってあげてください。

親に感謝の気持ちが少しでもあればその分だけ親孝行してください。

耳にタコが出来るほど聞かされてるかもしれません。

後悔先に立たずです。

家族をどうか大事にしてください。

親孝行だなんて大袈裟な言葉に相応しい必要は無い、些細なことで良いんです。

自分は勉強して成績一番取る訳でもなく初任給で何か買った訳でもない、でもそれだけが親孝行ではないと思います。

ちょっと気に掛けて何か些細なことをしてあげるだけで親は喜ぶものです。

ちょろいもんです。

理由とか理屈とか抜きに信頼と愛情があるからちょろいんです。

途中曲がりに曲がってきてはしまったけども、こうして無事に成人を迎えまして、公務員の肩書きを頂き働くことでこれまでお世話になった方々に何らかの形でお返しできれば、と思いつつの日々です。

度々辛くはなりますけどね、でも家族の生きているうちは死んでも死にきれません。

とかいってうちの親父は生前「◯◯(弟)が自立するまで死んでも死にきれん」とか言って、死んでんじゃねーか。

何が上の子は立派に働いてるから安心だ、あとは下の子だ、だよ。

働いててもまだ立派な一人前には程遠いんだよ。

そういえばよくお父さんにそっくりだねって言われるんだ。

顔のパーツもだけど、頑固なとことか、コミュ障かって位喋らないとことか喋るとどもりまくるとことか、余計なとこまでそっくりだよ。

外食の時とか必ずブラックのホットコーヒーを飲むのも同じだ。

コーヒーを啜りながら子供を眺める親父の気持ちが最近やっと解った気がする。

未だに、電話すれば親父が出てくれそうな気がしたりするんです。

私の手元に遺品として親父の携帯があるんですけどね。

多分生涯信じられないでいると思います。

弟よりも人の死を理解していないのは私かもしれません。

本当はもっと細かいことが色々重なったりしたんですけども、フェイク交えて掻い摘みました。

垂れ流しに付き合ってくれて有り難う。